パーソナルショッパーディレクター江川誠一 プロフィール

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全てのお客様から自分だけが選ばれるための
パーソナルショッパーディレクター
江川誠一 | Seiichi Egawa

BUYMAブロガー。ブログマーケティング・SNS集客術を駆使して主催セミナーの参加者は700名以上。

質の高いパーソナルショッパー育成に力を入れている、カフェと自然をこよなく愛する39歳イクメンパパ。。

 

 

生い立ち

江川誠一 -えがわせいいち-
1978年4月11日生まれ

 

愛知県の小さな街ですくすく育つ

幼少期の男子なら誰しもが憧れる秘密基地。学校の裏山、家の縁の下、下水道、文字通り毎日が冒険だった。

 

冒険以外にもファミコン、ビックリマン集め、
キン消し(キン肉マン消しゴム)ガン消し(ガンダム消しゴム)集め、ミニ四駆など昭和後期の遊びは一通りはまった。

 

サッカー、野球、バレーボール、バスケットと球技系のスポーツも好きで積極的にクラブ活動に参加してどの球技もそこそこにこなしレギュラーになる。

 

この頃から広く浅くなんでも一通りはやってみる癖があり大きな挫折を味わうこともなく幸せに育つ。

自由に幸せに育ててくれた親に本当に感謝している。

 

 

高校は美術科で美術を専門に学ぶ

インドア、アウトドアで広く浅くミーハー道を進んでいたが絵を書くことや物を作ることは好きで幼少期からずっと続けていた。

 

高校進学時にできれば地元から離れた高校に行きたくて名古屋の高校に美術科があることを知り、自分の一番得意を活かせると思い東邦高校美術科を受験。

 

入試にデッサンの実技試験もあったが独学で試験合格し高校在学中は写真家や芸術家に興味を持つ。

 

しかし、結果は勉強よりも遊びを頑張る日々だった。

 

遊びはちょっと変わってて、下校途中にある美容室に入り浸って、バックルームでスタッフの人たちと色々話をしたり、カットの練習をさせてもらったりした。可愛がってもらったお礼にしっかり掃除やタオル干しを手伝う高校生だった。

 

先輩に譲ってもらった一眼レフカメラで写真を撮りまくったり、友人に借りた8ミリビデオカメラでショートムービーを撮影して独学で編集したりして、仲間に観せて楽しんだ。

 

今ならスマホで手軽に写真も動画も撮影できるけど、僕の高校時代はそんなことしようと思ったら、高価な一眼レフカメラや8ミリビデオカメラが必要になる時代だった。

 

とにかく楽しい3年間で毎日が刺激的だった。

 

 

高卒フリーター

高校卒業後は専門学校に進学する資金を自分で稼ぐという言い訳を胸にフリーターとなる。

 

コンビニの夜間のアルバイトは時給もいいので、週7日掛け持ちでシフトを入れる。慣れてきたらバイト終わりの朝からティッシュ配りも掛け持つ。

 

二十歳になる頃に就いた携帯電話販売店のアルバイト。当時、携帯電話が一気に普及しだした頃で販売成績がいいとアルバイトでも店長になれた。

 

順調な業界に思えたが、ある程度普及すると新規契約が難しくなり機種変更が主流になってくる。一気に販売数が落ち込み会社の経営状況も悪化し退職。

 

 

カウンターだけの小さな居酒屋で顔馴染みのオヤジさん達とくだを巻く毎日。

 

このままじゃダメだなと思い、興味のあったアクセサリーや革小物を販売する小売店でアルバイトを始める。

 

 

販売員から店長、職人へ

シルバーアクセサリーや革製の財布や小物などをオーダーで製作するショップで販売のアルバイトを始める。

 

販売スタッフの中でも好成績で好きな商品に囲まれて、居心地もよく会社の規模は小さいが熱い社風に惚れて同社に就職。

 

革製品やシルバーアクセサリーの製造の技術を学び、職人になりながらスタッフ20人を抱える本店の店長に就任。

 

アルバイトから社員登用してもらい、すぐに本店店長となり調子に乗っていました。そんなイケイケ店長にまた転機が訪れます。

 

 

人生の転機

ある日突然会社の創業者である会長に
「沖縄研修に行きたいか?」と言われて、単純に楽しそうだから即答で「はい」と答えた。

 

 

 

一年間の沖縄漁師生活

即決で決めた沖縄生活。これは、社員研修として1年間沖縄の石垣島で漁師をすること。

 

この会社の創業者である、会長は一代で会社を築きあげた人だ。グループ会社を3名の社長に任せて、石垣島にプール付きのお屋敷を購入し家族と離れ単身漁師生活をしている漫画の主人公のような人。

(漫画家、本宮ひろ志さんのサラリーマン金太郎とか、俺の空とかに登場しそうな漢気溢れる人)

 

自然を相手に命がけの真剣勝負をしている会長。長靴履いて漁船に乗り込み船の舵を取りながら、会社の舵も取る。

漁業も仕事も遊びも人付き合いも全て真剣で、それまでなんとなく生きてきた自分とは正反対の人だった。

 

そんな人と、一つ屋根の下で寝食を共にする1年は当時の自分にとっては辛いだけの日々。全てを否定され続ける日々だった。

 

 

だからこそ未来の自分に期待をして本気で変わり、成長し自分に関わる全ての人や物事に対して愛を持って生きていきたいと思えるようになった。

 

この1年間がなければ今の自分はなかった。そんな特別な一年間だった。

今は本当に心の底から感謝している。

 

 

サラリーマン、社長を目指す

研修終了後、名古屋に戻り通常業務に復帰。

 

その頃から会社は全国出店をスタート、新規出店地域の店長やエリアマネージャーを経験する。

 

仕入れ部署に配属された際には、語学力が全くない中、タイ・アメリカ・メキシコなど海外出張。現地買付けや現地取引業者との交渉を経験。

 

どんどん知見が広がっていき広い視野で物事が考えられるようになった。

ただの高卒アルバイトが社員として登用していただき、店長やエリアマネージャー、海外仕入れ、国内仕入れ、

広報、アクセサリーデザインなど様々な業務を与えていただいた。

 

会社は大きくなり社員も200名弱となっていた。

 

その頃には、サラリーマンの頂点として会社の社長を目指すということを本気で考えていた。それは、自分の為でもあり関わってくれた多くのスタッフや取引先の人の為でもあり、何より育ててくれた会長への恩返しがしたかったから。

 

休みもなく我武者羅に頑張った結果、社員200名弱の会社の執行役員にまで登り詰めることができた。

次期社長候補の一人として食い込むこともできていた。

 

 

理想と現実

僕は裸一貫で組織を作り上げた起業家を尊敬している。もちろん、自分の恩師である会長を大尊敬している。

しかし、20代の大半を注ぎ込んできたのは組織の中で出世するということだった。

 

組織で出世するというのは、起業することとはまた別の種類の難しさもあり、僕はそこに挑戦をしたかったから。

そして高卒フリーターだった僕が勤続10年で手に入れたのは、組織の中で5本の指に入る地位と一流企業の40代ほどの

年収だった。

 

 

その頃からか気持ちが変化してきていた。

 

目指していたのは、会社の社長のはずだったのに現状に満足して、居心地のいいその環境を現状を維持したくなってしまっていた。

 

タチが悪いのは、現状維持のくせに理想主義だった。本来ならその立場にいたら現実的な目の前の解決しなければいけない課題に頭をフル回転させるべきなのに自分の事ばかり考えるようになっていた。

その結果、人は離れ出世レースからも遅れをとり、うまくいかなくなって大好きだった会社が好きではなくなってきていた。

このままじゃいけないという思いだけが強くなっていた。

 

 

更に転機が訪れる

そんな時に東北大震災が発生。

いてもたっても居られず、休日を利用して現地のボランティアに参加した。

 

現地で現実を目の当たりにした。昨日まであった会社も自宅も全てなくなる。昨日までいた家族や友人が居なくなる。

そのような経験をしても残された人たちは力強く今を生きようとしていた。

 

数日間のボランティア活動で微力なお手伝いをさせていただき、逆に自分が元気をいただき、学びや気づきをたくさんいただいた。

 

 

幸い僕は何も被害なく幸せな生活をしていたが、いざという時に自分の会社を守っていけるのだろうか。

家族や友人を守っていけるのだろうか。そんなことを考えるきっかけになった。

 

それからもくよくよと悩む時期が続いたが、

このままでは、何も変わらないと思い退職を決意して辞表を提出した。

 

自分が変わらなければ会社にとって良い存在にはなれない。しかし、このままでは変われないと悟ったから。

 

 

35歳で退職

退職後後は自分自身で稼いで生活するつもりだった。今までなんとかなってきたし、「自分ならできる」という漠然とした自信があったから。

 

辞表を提出後、インターネットや本やセミナーで自分にできることを模索するが、いざとなると何をしていいのか全くわからない日々が続いた。

 

35歳で無計画に辞表を提出する過ちに気づく。ちょっと無謀だったのかなと。

 

 

本当にこれからどうしようかと思っていたころ、「インナーネットビジネス初心者向けセミナー」になんとなく参加してみた。

そこで初めてBUYMAの存在を知る。

 

最初は半信半疑でだったが、実践してみるとしっかり進めれば利益が出ることは確信できた。

退職までに4ヶ月しか期間がなかったため、なんとかしてBUYMAで生計を立てたく、起業家アカデミーという物販ビジネスのコンサルティングスクールの門を叩いた。

 

 

師や仲間に囲まれて活動する

物販ビジネスで月利益30万円以上を稼ぐ起業家を何十名も輩出するアカデミーの中では成果を出すことは当然という環境だった。

そんな環境で師や仲間に恵まれ活動した結果、6ヶ月で月利益30万円を達成し9ヶ月で月利益130万円を稼ぐことができた。

 

自分自身がBUYMAのパーソナルショッパーとして活動が軌道に乗った頃、当時のBUYMA講師が他のビジネスの道に進んで行ったことで、次のBUYMA講師に抜擢され、

会社員からパーソナルショッパーに転向後、セミナー講師、スクール講師もスタートさせることになる。

 

セミナーでは起業や副業についてはじめの一歩の部分をのべ700名以上のサラリーマンや主婦の方にお伝えしてきた。

 

そして、BUYMAの活動も海外ブランドと総代理店契約を交わし、ラフォーレ原宿に実店舗を出店するなど仲間と共に挑戦をしてきた。

会社を辞めるタイミングでこのような環境に飛び込むことは勇気がいったが、そこでの出会いに恵まれて次々と成果を上げることができて本当に感謝している。

 

 

理想のライフスタイルの追求

東京へ出店をきっかけに地元名古屋から離れ、湘南エリア藤沢市に移住。

会社退職2年後に結婚もできて2017年には第一子も授かった。

 

改めて自分と向き合い、理想のライフスタイルを手に入れるために再スタートを決意し物販スクールからも独立。

20代の頃に憧れていた時間や場所、職種に捉われないワークスタイルを実践している。

 

自らの経験や知見を活かし、BUYMAで活動したい初心者パーソナルショッパーの育成に力を入れている。

 

BUYMA転売・輸入転売という転売ビジネスとしてではなく、パーソナルショッパーという一つの職業を正しく理解し

楽しみながら成果を出していただくことをテーマにしている。

 

BUYMA関連のサービスは、「BUYMAブログ」「オンラインサロン」「短期集中レッスン」「個別コンサル」などを運営している。

 

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江川誠一からのメッセージ

はじめまして江川誠一です。

人生を豊かに楽しむためにはお金稼ぎにフォーカスするだけではダメです。

しかし、何をするにも最低限の生活ができるくらいの収入の柱は必要です。

 

収入の柱、ライスワークとしてバイマで稼ぐことをすすめています。

それは限りなくリスクも少なく、再現性も高いビジネスで江川自身はもちろん、今まで多くの生徒さんが実践することができているからです

 

収入の柱を作った上で、自分らしく働くスタイル、ライフワークもやりやすくなります。

ライスワークとライフワークを両立させて、自分だけの地図を開き、

人生という大冒険を楽しむ旅に出ましょう!